2018年01月17日

何を言ってるのか

今朝10時過ぎ。外に出ると、くぐもった大きな声。いつもの広報スピーカーからのお知らせ(「行方不明者」とか「光化学スモッグ」とか)とは違って、運動会のアナウンスの支付寶香港ような拡散された音なので、歌なのか言葉なのかもよく分からない。

なんだろう、と辺りを見回しながら歩いていると、ばらばらばらとヘリコプターが。ゆっくりゆっくりと低空で飛んでいて、時々ホバリングしてみたり。と、なんとそこから音声が痔瘡膏。「…と言ったら、それは詐欺です」「の場合は、電話番号○○○の…」。どうやら振り込め詐欺の注意喚起のようだけど、プロペラ音がうるさくて、何を言ってるのか聞き取れない。電話番号なんて、まったく聞こえない。何を伝えたいのか、さっぱり分からない。

家に帰ってから機体番号を調べたら、やはり神奈川県警察航支付寶認證空隊のものでした。ヘリの広報活動なんてよくあることなのかしらん、と調べたけれど、SNSにも見当たらず。うーむ。いったいどういう効果を狙ってのことなのか。かなり、謎。  


Posted by cathyhua  at 18:32Comments(0)

2018年01月17日

空いているときに

作業だけど、ちまちましたことで、力仕事ではない。

ひたすらデータを取って、記録していく。

時間制限があって、データを取る作業を自分一人で占有できない。だから、空いているときに集中してやる。

昼飯も食わず。昼休みは、他の人が休んでいるから当然空いている。

午後になると、集中しすぎて、立ちくらみが出た。立ち上がったとたんに、目の前が真っ暗になった。

ストレスで、一番嫌なのが、時間に追われること。時間的に追い込まれると、パニックを起こして、過呼吸になる。

今日は、期限も難易度もプレッシャーも高レベルで、何をどうしたら良いのか分からなくなった。

結局、時間内に片付かず、追加の作業が増えて、残業。

月曜日から、フル稼働は、キツイ。。。。  


Posted by cathyhua  at 18:11Comments(0)

2017年12月26日

人と人の間と書く

寒椿の葉の上にスケルトンとなって葉っぱが落ちていました。これを見ているだけで色々な想いが浮かんできます。

 スケルトンというとがい骨を想い出します。それは人体のがい骨です。がい骨というと学校の理科室をイメージしたり外国の怪談が浮かんできます。当時小学校の雙眼皮手術理科室にはよくその模型がありました。今、想えば36年間もよく小学校の教師をやっていたなと想います。その間、社会と家庭以外の主任は殆どやって来ました。算数、国語、理科、音楽、図工、書写、道徳、体育、特殊教育、外国籍、情報教育主任とこれだけの事をやらせて頂き、良い経験でした。

 小学校の良さは総合的に教科を扱うことです。そして、子どもをそのことを通して総合的に看取ることです。広く浅くというか、まあそんなことですが、その本質をつかむ事が大切です。物事の本質こそ、格なのです。だから、人格であり、格調、風格、品格につながって行くのです。最近はこのような言葉があまり言われないのが残念です。人間が薄っぺらくなったのかもしれません。表面的なことにこだわり過ぎている風潮も危惧し手います。

 物事には本質があるのです。そこから波状してくることには間違いは少ないのです。本質を忘れた時から間違いが始まるのです。いわゆるボタンの掛け違いでしょうか大便 出血。その掛け違いにいち早く気付が良いのですが、自分に不利益が降りかかって来て気づく人があまりにも多いのは残念です。いわゆる天に唾することです。ついつい奢りが出てしまった等の反省点です。恋は盲目とい言葉がありますが、奢りは盲目です。いつでも謙虚でなければいけません。いつでも人は人間でありどこかとつながっているのです。だから、人と人の間と書くのです。昔の言葉はこうやって考えて来ると含蓄があります。

 「儲ける」は信ずるものが集まるイメージですし、「稼ぐ」という言葉には、「家」に「禾」、すなわち、愛する家族にかてをもたらす光景をイメージできます。「親」は高い木の通渠佬上に立ちよく見ることです。「忙しい」も、心を亡くすとかくからおもしろいですね。

 今回、こんな物を自然の中で見つけました。葉っぱがスケルトンになっていたのです。肉体が滅びるとまず、こうなってしまうのかと想いました。自然は無情といえば無情です。なるべくしてなり、起こるべくして起こっているのですから。

 そこには、在りし日の葉っぱの面影はありません。自然界とはまさに新陳代謝が常に行われているこのような諸行無常の世界です。生老病死が耐えず行われ、その中でも新し命に引き継がれて行きます。

 私は趣味の一つとして園芸や野菜作りもしていますが、野菜を育てていると一年と言う短いサイクルで次々と新陳代謝が行われ野菜が生長し、変化していきます。このサイクルの中に何ともいえない喜びを感じています。

 青々として白菜の芽を見ているだけで幸せを感じます。ネギの色の鮮やかさに感心もします。ネギの色は日本語で浅黄色ともいい、その緑の色は単に緑とだけで言い表せません。やはりネギの色は緑なんですが、浅黄色が一番似合います。まさにアナログの世界です。また、白ネギの白さもその中に生命が宿っていると想うとその白さは何と表現したらいいのでしょう。私たちは毎日その命をいただいているのです。思わず掌を合わせたくもなるでしょう。食事の時の合掌です。ネギの意識してそうなっているのでなく、ただ、命をつないでいるだけなのです。諸々の物をよく見ていると、自然界は実にうまくできているなと感心することしきりです。自然界にはあるべくしてあるものしかなく、いわゆる余分な贅肉が無いのです。だから自然なのです。懐もとてつもなく広いのです。すべてを飲み込んでしまいます。だから、今、自然は畏敬の対象となるのです。

 昔、美しき天然という曲がよく流れていました。それも、どこか、人間の自然への回避があったからでしょう。私の中ではサーカスのテーマ曲であり、私がエレックトーンで最初の頃引いたハ短調の曲でもあります。自然を尊重する態度は共感や協調につながって来ます。私たちも、自然をよく見て学習し、自然と協調することをもっと学んで欲しいと想います。文明の発達は自然への畏敬の念を助長するものであって、自然の破壊につながってはいけません。今の人間に欠けているのが、この感謝、思いやり、畏敬の念です。魂の浄化という面にもっと目を向けて行かないと行けないです。

 私たちは事実を多方面から考察する術と持っています。これを見ても何も想わない人もいるでしょう。ここから、自然の儚さに想いをはせる人もいるでしょう。時の流れの一瞬を感じ取る人もいると想います。想いは無限です。生きている限り私たちはこの想いに従って生きています。

 私はこれを見て自然は日々流転していて、変化こそ、この世の真理だと想います。同じことは何時までも続きませんし、時間の中で変化していきます。どんなに暗い闇夜もいつかは暁の空に変わっていきます。何事も、固定的に考えずに自然の声に耳を傾けるようにしていると自然がささやいて私たちに次の生き方を教えてくれます。  


Posted by cathyhua  at 18:43Comments(0)

2017年12月26日

日帰り温泉に

「海苔ハウス」って何なのだろう。

海苔店のことなのか。

それとも海苔で造った家なのか。

海苔は水に溶けるので、さすがに後者はありえないだろう。

実は私も人のことは言えない。

会議中に出席者が話した「数パーセント」という言葉を「スーパー銭湯」と勘違いしたのである。

不謹慎とはいっても、会議中にほかのことを考えるのは、私だけではないと思う。

私もその日は銭湯か、スーパー銭湯か、日帰り温泉に寄って帰りたいと思っていた。

だから「数パーセント」が「スーパー銭湯」に聞こえたに違いない。

「調査結果を分析したところ、Aと答えた人が55パーセント、Bは35パーセント、Cは7パーセント、その他は『スーパー銭湯』であった」。

この会議の議事録作成者が私でなくて、本当に良かったと痛感する。

まあ、たまにはこんな議事録があっても楽しいのかもしれないけど。  


Posted by cathyhua  at 18:41Comments(0)

2017年11月13日

巻き込まれる

犬同士の絆って人が想像するより強いのかもしれない
わたしの実家には二匹の犬がいる。
茶色いの(二歳三か月)と白いの(七か月)とで、白いのが我が家にやって来たのは今年の初夏だった。

かれこれ半年近く一緒に過ごしている二匹なのだが、とてもじゃないが「抜群の相性」と表現することができないでいた。
寝床で二匹寄り添って寝ることだけ通渠公司を「抜群の相性」と呼ぶならば…だけれども。
おっとりした甘えん坊な茶色いのと、年相応にやんちゃでいたずら好きな白いのの組み合わせなので、事あるごとにちょっかいを出しては追いかけっこをしているのである。

「トムとジェリー状態」と言えば微笑ましい風景を想像する方がいるのだろうが、実際はかなりスリリングな追いかけっこである。
ソファに駆け上がったかと思ったら床で寝っ転が通渠っている家族の腹へ飛び移るので、巻き込まれる人間はたまったものではない。
勢いよくみぞおちや股間(!)に飛び移られたときは、ガチで悶絶ものだ σ(^◇^;)


そんな関係性の判りにくい二匹なんだけれども、わたしは二匹の絆を実感する出来事に何度か遭遇している。

たとえばある日、白いのをトリミングに連れて行くことになった。
キャリバッグに入れて準備万端、外に連れ出そうとしたときに事件は起きた。

茶色いのがキャリバッグの周りで騒ぐのである。
キャリバッグを開けようとカリカリひっかき通渠佬、切ないうなり声を上げてはキャリバッグの持ち出しを阻止する。
「(白いのを)どこにも連れて行かないで!」と、全身全霊で必死の懇願をしているかのようだった。
結局は茶色いのをどうにか引き剥がし、白いのをトリミングに連れて行ったのだが、この出来事によって、茶色いのが白いのを家族の一員として認めていたことが判った。

それ以来、茶色い犬の目の前で白いのをキャリバッグに入れることは控えている。
白いのをトリミングに連れて行くときは、事前に茶色いのを散歩に連れ出す等、涙ぐましい努力をしているのだ (笑)

もうひとつの出来事はつい昨日のこと。
ちょうど実家に帰っていたわたしが、茶色いのを散歩に連れ出したのだ。
そのとき家には誰も人がいなかったため、必然的に白いのが一匹で留守番をすることになる。
30分ほど茶色いのとお散歩を楽しんでから実家に戻った。

ドアの前に立った瞬間、犬の遠吠えがドアの外まで響いてきた。
茶色いのとわたしが帰宅したのを察知した白いのが、全力で騒いでいるのだ。
今まで聴いたことのないような声で白いのが吠えている。
おそらく人語に訳すと「(茶色いの)早く帰ってきて~~!」と叫んでいるのだろう。
※わたしゃ犬のリアル遠吠えをはじめて聴きましたよ σ(^◇^;)

その勢いで完全に気圧されてしまった茶色いのが、オシッコをまき散らしながら家中を駆け回る。
白いのは脱糞した上に食糞し、ウンチを踏み荒らして走り回っている。
ひとり呆然と立ち尽くすわたし σ(^◇^;)

部屋を掃除し、二匹が落ち着くまで30分ほどを要したのだが、しばらくして彼らは恒例の追いかけっこを再開した。
たぶん彼らは、人間が想像する以上に強い絆で結ばれているんだろうと思う。

  


Posted by cathyhua  at 12:41Comments(0)

2017年11月13日

きっと辛かった


 好きなことは金を払ってするもの P-53 

 前略

 私の亡くなった父は大正13年生まれだが、家が貧しかったため、高等小学校を卒業してすぐに働きに出た。当時の仕事がどんなものだったか聞き忘れたが、好きなことなんか仕事にできなかったのは間違いない。父は働きながら夜間中学を出たが、20歳の時に徴兵で軍隊に入った。戦後、いろいろな職を転々とし、30歳くらいのときに大阪市の水道局の臨時職員になった。その頃、結婚して私が生まれた。

 父はやがて正職員になれたが、配置されたのは漏水課というところだ。どういう仕事かといえば、一日中、大阪市内を歩き回り、破れた水道管を直すというものだ。昔は大阪市内の道路もほとんどは舗装されていなくて、晴れた日に道が濡れていると、地中の水道管が破れているという印だった。そういう場所を見つけては、道路をツルハシとシャベルで掘り返して、水道管を修理するのだ。父は定年まで、夏の炎天下、ヒュの木枯らしの中で、そういう仕事をして、私たちを養ってくれた。
 
 こんな仕事がふつうに考えて楽しいとは思えない。きっと辛かったと思う。けれど父は私たち家族の前では、一言も仕事の愚痴をこぼさなかった。別に父が格別に立派とも思わない。当時は父と同じように、しんどい仕事を黙々とやり続けた男たちがたくさんいたからだ。  


Posted by cathyhua  at 12:38Comments(0)

2017年09月05日

わからない

わからない
犬を飼う猫と娃の争い
汽車で騒がしい音、複雑な人、向こうの1列の座席通路に中年女性や若い男がひくく絮説。あの穏やかな争いは親子じゃない。
聞いて猫を飼っている犬飼って娃の争いは、女にはいるといえば2人の認識の誰かを飼って爺たくないのに、猫を飼っていた犬は、その父母ガスの死ぬ。男性はやさしい言葉で理解を示す。
母の焦りを思い出し、40代の妹を催促する、心が憂だ。思えば妹は結婚、息子は、男の人で、愛情、いつ結婚は自分がとても良い処理、私に理解を示し、母は不満を言って、私と一緒に言えない。
大人、人は聞かない、私は理解し、理解も尊重。
親の過度の参加は負けるのが疲れて、お互いにも疲れて、あまりにも多くの親はそのすでに子供の子供は子供が、いつも考えていて制御して、お互いが疲れて、できない!
娃の人は娃、猫の犬を飼っている人は猫を飼って犬を飼っている。ただ自分の猫を当たり前のように、他人もあなたが普通に寵愛していると思う。子供を飼っていて、自分の熊子子供は全世界がすべてあなたのように彼のためにサービスすることができると思っています。  


Posted by cathyhua  at 10:20Comments(0)